雪の匂いってありませんか。
日曜日に出演する演奏会のために、名古屋に帰ってきた。
大戸屋のビールで優勝して、新幹線に乗り再度ビールで準優勝。
新幹線に乗ってるあいだは仕事しようと思ってたんだけど、満席だしなんか窮屈で、車両のドアの目の前で落ち着かないので、ずっとNetflixで「ソーシャル・ネットワーク」を見る。多分2回目くらい。
いつもは「こだま」で帰ってきてたんだけど、今日は「のぞみ」。のぞみって早えのな。映画一本見きれなかった。そりゃそうだ。
そいで、そろそろお尻がキツいって時に名古屋に着く。荷物多いしリッチにタクシー、と思ったけどめっちゃ並んでるしということで地下鉄。
そして実家の最寄り駅について、改札を出た途端。
雪の匂い。
改札を出てすぐ外になっているわけではない。地下鉄だし、ふつーに地下。
でも、近くの出入り口から流れ込んでいる雪の匂いを嗅いだ。
外に出ると、雪は降っていなかった。むしろちょっと雨が降っている。
雪ってのは空気中の水分がチリや埃にくっついて凍っているだけだってことはわかってる。
でもなんだか、「降りそうな匂い」みたいなものって、誰しも記憶にあるんだと思う。
澄んだ空気を感じる。
人間の記憶ってのは香りとシンクロすることが多くて、原体験の中に刻まれているものも多いらしい。
僕の好きな匂いは特定の缶コーヒー。メーカーがなんだかは忘れたんだけど、昔、付き合っていた女の子のマンションの下で大人ぶって缶コーヒーを飲んでいた、そのコーヒーの香り。
そんな記憶に、鼻腔が雪の匂いを感じるとアクセスできる。
冬っていいなあ。冬が好きだ。
中高生の頃によく勉強でお世話になっていて。年賀状とか全部手書きで書いてたんだけど、そういう時に8時間くらいこもっていた。
趣味がミスドのレシート集めだった時期がある。
東京に旅行に行ってわざわざ池袋のミスドに行ってた。アホや。
前見た夢ではミスドでトレイを持ってドーナツを選んでいるとラインナップが丸善になるという意味不明な現象が起こってた。ってのが言いたかっただけ。
家に入ると、実家の匂い。
ここで暮らしていたのは去年の夏くらいで実際普通に生活をしていた家ではないのだけれど、実家の匂い、というのもなんだか固定されて存在している気がする。
そんな今日。
1月17日。
阪神淡路大震災から25年。
両親は神戸出身で、実家は神戸にあった。
母方の叔母が25歳で亡くなった。
僕はまだ当時3歳で、叔母の記憶も全くない。
匂いの記憶も、ない。
多くの犠牲者に、冥福を。
ではまたあした。