ぽろぽろこぼれる

888企劃主宰・馬原颯貴からぽろぽろこぼれる言葉を記録する。

偏見を纏う。

「私がどんな服を着てもいいだろう、それを偏見の目で見るな」

というのは、やや無理があるんじゃない? って話。

 

想像してみて欲しい。

 

ゴスロリを着た人が「私を可愛いだなんて思わないで欲しい」という。

派手な柄物シャツを着た人が「俺をヤクザみたいだなんて思うな」という。

露出の多い服を着た人が「私を性的な目で見ないで欲しい」という。

 

そんなことはおかしいだろう。

 

可愛く見せたいからゴスロリを着ているんだと思うし、ガラを悪く見せたいから派手なシャツを選んでるんだと思うし、自分のプロポーションを見せたいから露出度の高い服を纏ってるんだと思う。思う。僕はそう思う。偏見する。

 

どんな服を着てもいいよ、でもその服と一緒に、その服は、あなたに「偏見」を着せていることに気づいて欲しい。

 

これは誰も言わないことだが、服は偏見である。

 

スーツを着れば「真面目そう」それを着崩せば「だらしない」、ワンピースは「女性らしい」パンツスタイルなら「中性的」。とか。例えば。

 

人は偏見を着ているのだ。そう思われたい偏見を。

 

僕は気弱な人間である。そのくせ目立ちたがり屋だ。だからよく和装をする。他の人があまり着ない服を着て目立とうとする。個性的だと思わせたいから、個性的な服を着ている。当たり前ですけど、みたいな顔をして足袋を履く。それが個性的だと思うから。意図的に、他人に偏見を持たせる。派手な柄のシャツを着て、サングラスを着け、近寄りがたい雰囲気を作る。自ら纏う。気弱な自分を隠している。それをわかってやっている。ガラの悪さを演出している。だから職質にあったとしてもなにも文句はない。そういう服を着ているんだから。きちんと応じる。人を見た目で判断することになんの疑問も持たない。僕は見た目で判断して欲しいから。僕も見た目で判断するし、きっとあなたも、見た目で判断している。