ぽろぽろこぼれる

888企劃主宰・馬原颯貴からぽろぽろこぼれる言葉を記録する。

男声合唱のためのアニメソングミュージカル「合唱(うた)をとりもどせ!!」を終えて。


早稲田大学グリークラブ第70回定期演奏会が12月3日に開催された。


第二ステージ、男声合唱のためのアニメソングミュージカル「合唱(うた)をとりもどせ!!」の作・演出を担当した僕の、これはある意味あとがきと、本番を終えた感想である。

本番直後の高揚感でTwitterで口を滑らせた内容と重複している部分もあるかと思うが、温かい目でご覧いただきたい。

 


まず僕の信条として、「舞台はそれを見たお客さん一人一人の解釈が全て正しい」と思っている。ここで語ることによって、あなたの解釈を変える必要はない。

 


ワセグリが指揮を三好草平に、編曲を森山至貴に、と決めた時点で三好さんは「森山編曲で演出ステージをするなら、共作経験のある馬原がいい」と言ってくださったらしい。共作とは、2019年「888企劃舞台作品 第六回公演 混声合唱と群読のための……。」のことである。

 


初めて学生たちと顔を合わせたのは1月だった。

彼らは「アニソン合唱で、笑えるステージを作りたい」「青春と“エモさ”をテーマにしたい」という話だった。

 


学生たちから渡されたのは膨大なアニソンのリスト。学生たちが好きなアニソンをとにかく詰め込んだ闇鍋のようなリストだ。「この中から選んでもいいし、この中にない曲を出してもいい」と聞いて、「つまりワセグリで聞いてみたいアニソンを盛り込めばいいんだね?」と興奮した。

 


ワセグリの演出ステージの評判は、東京の大学合唱界隈にいなかった僕でも知っていた。何年か前のワセグリ定演を見に行ったこともあった。名だたる名作に恥じないステージを作らなければというプレッシャーもあった。

 


コロナ禍でいろんな演奏会が中止になり、なお逆風が止まない今だからこそ、作れるステージがあるはず。そう思って脚本と選曲に取り掛かった。

 


この時点から、一つの問題があった。「演奏時間」だ。

自分が普段書く脚本は1時間半から2時間程度。今回は歌の尺も含めて、長くても30分、できればそれ以下に収めたい。

30分アニメ(と言いつつ実際は24分だが)の尺に収める、と考えると、一話分しかできない。続き物にもできない。なのに一つの物語の起承転結を一話に収めなければならない。どうするか。

演劇パートで全てを語って、合いの手のように歌が入る構造だと、演劇側への負担も大きい。

世界観の説明や進行を、歌で加速させるしかない。

 


曲目のリストを見ていると自然と歌詞が脳裏によぎり、まるでタイトルが光るかのように物語の構成が見えてきた。

 


2月ごろから定期的に選曲リストを提示し、許諾申請を依頼。3月ごろにはほとんど決まっていたかのように思う。その時点で脚本はver.3にまで変化していった。曲の歌詞が物語を作っているので、その曲が使えないとなると物語を変えなければならないからだ。

 


この時点でそろそろみなさんお気付きだと思う。「喜劇」が発表されたのは4月のことだ。そう。そこでまた物語を変えた。

 


というのも、ver.3あたりの話では、デビルズというキャラクターはワセダ・レジスタンスの外の人間だった。外からやってきた悪を倒す話だ。

しかしこれでは物語が締まらない。なぜなら現実への啓発にならないからだ。この問題への解決策を探している途中だった。

・合唱団があり、例えば外の部活、アカペラ部とかがやってきて合唱団と対決する……? いや、アカペラ別に悪くないし……。

・合唱団があり、規制する権力を倒す話……? いやいや、そんな「打倒政府」みたいな反社会的な終わりにはできない……。

・そもそもコロナ禍の解決策なんてわからないわけで。ワクチンでコロナを倒す話? いや「はたらく細胞」かよ……。

などなど、大筋は決まっていても落とし所に困っていた。

 


そんな中、打ち合わせをしていた藤原くんとの会話の中で、「コロナ禍で辞めていった部員」の話を聞いた。

ワセグリの内情を何一つ知らない僕は、勝手に彼らを一つの家族だと思っていた。かつて見た演奏会で、卒業代を送り出すストーム。独自の伝統。熱い結束。

 


そして「喜劇」。全てが繋がった。

デビルズはもともと仲間だった。心に闇が現れることは、人間なら誰しも知っている。うまくいかない現実の中、自分が全てを統制すればうまくいくのにと。人と意見を合わせるから摩擦が起きる。全員が自分の言うことを聞けば、物事は良くなるはず。そういう思考パターンを、僕たちは知っている。

そして、その考えが間違っているということもまた知っている。ひとりじゃ出せない音があることを。

 


終わり方についても、もう少ししっとりした曲で終わる予定だった。だが不思議なことに、これがまだ第二ステージでありこの後に上田真樹さんの委嘱曲があるということを都合よく忘れたグリメンたちは「もっと盛大なラストを」「ビートが足りない」「これじゃあ燃え尽きられない」「血を吐いて終わりたい」「消化不良になる」「男なら歌え」と言ったり言わなかったりしてきたので、最後の二曲を合わせて変更した形になった。

 


その時点で以下のセットリストが完成した。

 


愛をとりもどせ!!(北斗の拳)

デビルマンのうた(デビルマン)

Cry Baby(東京卍リベンジャーズ)

大河よ共に泣いてくれ(ゾンビランドサガ)

時には昔の話を-早稲田大学校歌REMIX(紅の豚)

熱き決闘者たち(遊☆戯☆王 デュエルモンスターズ)

七色シンフォニー(四月は君の嘘)

喜劇(SPY×FAMILY)

真赤な誓い(武装錬金)

 


最初は世界観を表現し、導入しやすく。高い年代の人にもわかる曲で始める。

デビルマンで悪の訪れを表現。デビルマンは正義のヒーローだけど。

仲間が奪われていくので悔しい。いねえよなぁ!

反撃の力を手に入れ、戦いに向かう。今だ、反撃の時!

と、ここで幕間。時には昔の話をで回想シーン。デビルズの過去。失われた斎太郎節。

主人公たちとの対決。戦闘用BGM。

倒しきれないが、最後の力を振り絞って歌う。七曲目、漆の型、七色シンフォニー。

 


そして喜劇。

壊れかかったお茶目な地球。コロナ禍で病に陥った星。

みんなの涙はとうに枯れ果てている。僕たちはワセグリで出会う。過去にあった辛い秘密は隠している。あの日交わした。入部届。心たちの契約。血の繋がらない家族。グリメンたち。

「こんなことがあった」って。話したかった。君となら喜劇。

ふざけた生活。コロナ禍での、マスクのある生活。つづく、つづく。

ラストを飾る、「真赤な誓い」。あまりにも大きな力の壁。絶対負けるもんか。屈服するもんか。今はわからないことばかりだけど。わからない中で進むしかないけど。合唱をするだけ。ただ歌うだけ。好きなことを。好きなだけ。

 


この物語を「アニメソングミュージカル」と表記し出したのはこの頃かもしれない。歌だけでも、芝居だけでもない今作は、こう表記する他なかった。

 


このセットリストを見てしまえば、物語が判明してしまう。「荒廃した世界で」「悪魔が現れ」「仲間が奪われ」「反撃し」「回想し」「戦い」「共感し」「会話して」「明日へ向かう」ことが、わかってしまう。

なのでパンフレットには曲目を書かないでいただいた。このステージに関しては、パンフレットではなく舞台だけを見ていただきたかった。

 


曲目に関して、知らない曲も多かったのではないだろうか。そもそも知ってる曲だけで構成された演奏会に意味があるのだろうか? みなさんは今回の第三ステージの曲を知らなかったはず。委嘱初演なのだから知るはずもない。新しい曲と出会い、世界を広げていくことが大事であることは、合唱ファンのみなさんはよくわかっているはず。一部のコアなアニソンファンは、「その曲持ってくるのか〜!」とイントロで滾ってくれるだろうという予想もあった。

 


今回は「存分に笑えるステージにしてください」という要望もあり、これでダダ滑りしたら上野で人身事故が起きるぞと思いながら執筆したが、実際のところ無事帰宅することができた。

 


ジョジョネタはふんだんに取り入れた。これは僕がただ好きなだけである。わがままである。選曲段階ではジョジョの曲は入らなかった。ジョジョの曲はジョジョの曲であり、それをするともう波紋で戦ったりスタンドで戦う話にするしかなくなってしまうからだ。「悪魔」はある意味スタンドのようだったけど。

 


他にもアニメのセリフパロディは多々織り込んだが、大事なのはストーリー上必要な意味のセリフだったからである。無意味に流行語を連発しても面白くはない。ただのセリフモノマネ大会でもなく、彼らのキャラクターの中でそのセリフを言う「必然性」が欲しかった。このあたりは、ともすると笑えなくなってしまうので気をつけたい。

 


先述した通り、僕は22歳で名古屋から上京したので大学合唱界隈のことは全くわからなかったのだが、ここ5年ほど東京の合唱文化に触れることで、なんとなくだが関係性が見えてきたように思える。

ワグネル・ソサィエティーの皆さんに失礼なことを言わせた気がする。大笑いしていただけたようで光栄だ。

 


時には昔の話を」では早稲田大学校歌REMIXとなった。これは三好さんの発案というか「校歌をどこかに混ぜたいよね」と言っていたのを思い出し、アカペラ曲に織り込めば今後ワセグリが愛唱歌としても歌ってもらえると考えたので、この曲になった。森山先生の見事なマッシュアップにより、絶妙に校歌と「時には」の旋律が折り重なり、初めて楽譜を見た時は興奮していきなり一人多重録音するくらいだった。ぜひ、次の代にも受け継いでいただきたい曲である。

 


またこの曲では「演奏中にマスクをつけ始める」という演出をつけた。あの世界の過去の話なのか、ナレーションの「私たちの世界の話」とは、どっちの世界の話なのか。可能な限り曖昧にしておいた。不明瞭な境界線が、観客を魅了してくれると信じている。

 


「斎太郎節の擬人化」というのが理解されるのか非常に悩んだし、知らない人には本当に知らないネタになってしまうだろうと思った。しかしこの演奏会に来るお客さんなら、どうせストームの最後で斎太郎節を聞くことになるだろうし、その時点で解るはず。ワセグリの伝統を信じたネタである。

当然のことながらこのシーンは「風の谷のナウシカ」のパロディであるが、背後に隠したはずの斎太郎節が「エンヤーオット……エンヤーオット……」と王蟲のように四つん這いで前に進み出すシーンはこの舞台一番の好きなシーンである。このために他のストーリーがあると言っても過言ではない。ほんとうに。

 


「熱き決闘者たち」ではアクションをつけた。この件に関しては長谷川裕の成果と、慣れないアクションを一生懸命に身につけてくれた学生たちの努力の賜物である。

小雨の降る深夜の公園で、二人で殺陣を考えた。結果として迫力のある見事なアクションになり大満足の戦闘シーンとなった。

 


その後、デビルズとの戦いで瀕死の状況に追いやられた彼ら。救うには会場のみんなの応援が必要だ! というシーン。ヒーローショーでお馴染みの演出だが、2000人の会場が作り出す拍手の力は圧巻だった。もう少し戸惑いながら徐々にまとまっていくのかと思っていたが、煽った瞬間から拍手が巻き起こり、次第にワセダコールの中で完全にタイミングの合った爆弾のような拍手になっていく。お客さんが物語に没頭してくれていることがわかったし、応援の気持ちが伝わってきて骨にまで染みた。このシーンを作れてよかった。

 


今回は稽古期間が短かったこともあり、歌中でダンスなどは取り入れられなかった。その代わり、合唱のみんなには自由に動いてもらった。「喜劇」などは顕著だ。

合唱ではほとんどが、直立こそが褒められ、決められたフリでしか動かない。しかし僕たちが歌を歌う時、身体は自然と動き、感情を現わにするのではないか。

歌を歌うことは楽しいのだから、楽しそうに見えるはずだし、悲しい歌ではその気持ちを表現する。歌声だけでなく全身で。合唱は舞台芸術なのだから。

こういった僕の考えは指揮の三好先生とも共通しており、学生たちへの指導の中で互いに何度も伝えてきた。

 

 

 

この舞台に僕が潜ませた数々の仕掛けは、そういった全てのことが繋ぎ合わさることで表出する。心に残る舞台となってくれれば嬉しい。

 

 

左から

僕の思いつきを全て楽譜に書き記してくださった森山さん

全ての音楽をまとめ上げてくださった三好さん

最高のピアノを奏でてくださった角野さん

学生たちにただグチグチ小言を言っていただけの僕

アクション未経験者を安全に戦闘させてくれた長谷川さん

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