五輪。
オリンピックが開催されていたはずである。
本来ならば。
もしかすると、別の世界線では開催されているのかもしれない。
だが、僕たちの世界では開催されていないのだ。
これは紛れもない事実である。
去年、一年を通して書いていた戯曲があった。
「職員室」という戯曲である。
学園ものの演劇は数あれど、職員室にのみフォーカスを当てた作品は珍しいだろうと思った。
僕の知人は教員が多い。リアルな体験談も数多く聞いた。
学生の頃、職員室というものには少しばかり畏怖のようなものも感じた。
コーヒーとインクの混じったような匂い。あの空気の中には本来何があったのか、白日の元に晒し出すことで、唯一無二の舞台になると思った。
そしてそのワンシーンに描かれていたのが、オリンピックである。
舞台は2020年の春から、2021年の春までを描いていたのだ。
しかし、今年発生した新型コロナウイルスによる大感染。
世界は変わってしまった。
オリンピックは延期になり、教育の現場も大きく変化した。
その諸々を、描かないわけにはいかない。
無視して、「あったかもしれない世界線」として描くことは、難しい。
趣旨と逸れるのだ。
888企劃では、というか僕は、訴えるメッセージを念頭において執筆する。
いままでは壮大なテーマだったり仕組みだったりしていたが、今回の作品はハートフルなコメディとして描きたかった。めずらしく。
先生達だって、人間だ。
それがテーマだった。
しかしこの情勢下ではそれは描きづらい。
どうしても、社会情勢に対する何某かがテーマになってしまう。ならざるを得ない。
そういうわけで、この作品はお蔵入りとなってしまった。
よく考えれば、何も事件は起きず、なんの問題も起きていない社会情勢なんてものは、存在しないのかもしれない。
いつだって戦争や飢餓、環境問題、経済の悪化などは存在する。
そんな中でも、やれる時が来たら。
やろう。
ではまたあした。