日本国憲法第25条1項にこう記されている。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
健康で文化的な最低限度の生活。
そのままタイトルとして漫画にもなり、ドラマにもなった言葉である。
今回は政治の話……ではない。
言葉遊びの話である。
この一文を分析してみよう。ばらばらにして、さらけだしてみよう。
健康。
健康とは何か。病気であることは健康ではない。このところ医療は目覚ましく進歩しているし、あらゆる状態に病名がつく。自分も以前手の痺れを感じたと整骨院で話したら「胸郭出口症候群」だと診断された。何にでも病名がある。病気である。
慢性肩凝りの僕は病人である。この権利を行使すれば健康になれる。健康である権利がある。らしい。
文化的。
文化的とは何か。この振れ幅は大きい。
歩くことができる。喋ることができる。文化的だ。
電気が使える。ガスが使える。文化的だ。というか文明に近いかもしれない。
ネットを使う権利はいかがだろう。Wi-Fiにアクセスできる権利。5Gも権利かも知れない。文明の利器を使う権利。
文化に戻ろう。日本の文化だ。「不倫は日本の文化」であるなら、不倫する権利もあるかも知れない。いや、ない。ないよ、東出。
いや違う、こんなトレンディーな話がしたいわけじゃない。時を戻そう。違った、話を戻そう。
タバコはどうだろう。酒は、カフェインは? 文化的だ。実に現代人らしい。
もう少し文化に寄り添えば、美術館に行く。博物館に行く。劇場に行く。音楽を聴く。本を読む。うん。文化的だ。
問題は次だ。
最低限度の生活。
これが重要だ。最低限度とはなんだ。
Wi-Fiが使えない。最低だ。
電気、ガスが使えない。最低だ。
美術館、博物館に行けない。最低だ。
音楽を聴けない、本を読めない。最低だ。
タバコ、酒を嗜めない。最低だ。最低限度だ。
つまり何が言いたいかというと、
「健康で文化的な最低限度の生活」なのだ。
「最低限健康で、最低限文化的な生活」ではないのだ。
「ある程度健康である程度文化的な生活」。
「そこそこ健康でそこそこ文化的な生活」。
「とても健康でとても文化的な生活」。
どれも違う。
権利によって守られているのは「最低限度の生活」だ。由々しき事態だ。
まあこの条文は「プログラム規定」と言って、「目指しましょうね」程度の条文らしい。判例があった。
なんてことをつらつら考えていた。
時間がないので今日はこれまで。
ではまたあした。