ぽろぽろこぼれる

888企劃主宰・馬原颯貴からぽろぽろこぼれる言葉を記録する。

生活。

日本国憲法第25条1項にこう記されている。

 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

健康で文化的な最低限度の生活。

そのままタイトルとして漫画にもなり、ドラマにもなった言葉である。

今回は政治の話……ではない。

言葉遊びの話である。

 

この一文を分析してみよう。ばらばらにして、さらけだしてみよう。

 

健康。

健康とは何か。病気であることは健康ではない。このところ医療は目覚ましく進歩しているし、あらゆる状態に病名がつく。自分も以前手の痺れを感じたと整骨院で話したら「胸郭出口症候群」だと診断された。何にでも病名がある。病気である。

慢性肩凝りの僕は病人である。この権利を行使すれば健康になれる。健康である権利がある。らしい。

 

文化的。

文化的とは何か。この振れ幅は大きい。

歩くことができる。喋ることができる。文化的だ。

電気が使える。ガスが使える。文化的だ。というか文明に近いかもしれない。

ネットを使う権利はいかがだろう。Wi-Fiにアクセスできる権利。5Gも権利かも知れない。文明の利器を使う権利。

文化に戻ろう。日本の文化だ。「不倫は日本の文化」であるなら、不倫する権利もあるかも知れない。いや、ない。ないよ、東出。

いや違う、こんなトレンディーな話がしたいわけじゃない。時を戻そう。違った、話を戻そう。

タバコはどうだろう。酒は、カフェインは? 文化的だ。実に現代人らしい。

もう少し文化に寄り添えば、美術館に行く。博物館に行く。劇場に行く。音楽を聴く。本を読む。うん。文化的だ。

 

問題は次だ。

最低限度の生活。

これが重要だ。最低限度とはなんだ。

Wi-Fiが使えない。最低だ。

電気、ガスが使えない。最低だ。

美術館、博物館に行けない。最低だ。

音楽を聴けない、本を読めない。最低だ。

タバコ、酒を嗜めない。最低だ。最低限度だ。

つまり何が言いたいかというと、

「健康で文化的な最低限度の生活」なのだ。

「最低限健康で、最低限文化的な生活」ではないのだ。

「ある程度健康である程度文化的な生活」。

「そこそこ健康でそこそこ文化的な生活」。

「とても健康でとても文化的な生活」。

どれも違う。

権利によって守られているのは「最低限度の生活」だ。由々しき事態だ。

 

まあこの条文は「プログラム規定」と言って、「目指しましょうね」程度の条文らしい。判例があった。

いや、そんな条文を憲法に据えんなよ。憲法改正賛成。

なんてことをつらつら考えていた。

時間がないので今日はこれまで。

 

ではまたあした。