僕が小学生の頃、我が家はそこそこ裕福な家庭だった。
小学六年生の時、家族旅行でアメリカに行った。ロサンゼルス、ラスベガス。人生初のディズニーランドがアメリカだった、という話を、事あるごとに、ウザいくらい自慢げに話している。
先日、その頃のホームピデオを、母が業者に依頼してVHSからDVDへ焼き直したらしい。パソコンで再生されているその動画の断片が、送られてきた。
懐かしい。
これはジェットコースターの恐ろしさを語る12歳の僕の映像である。まだメガネをかけていない。
ラスベガスにあるホテル「ニューヨーク・ニューヨーク」には、ジェットコースターが付いているのだ。
これが人生初ジェットコースターだった。僕は臆病者なので、この時までイモムシだったりテントウムシの形をした、子供向けのジェットコースターにしか乗らなかったからだ。ほら、こうやって自慢と自虐を同時にしていく。臆病者でしょ?
ラスベガスでは基本的にホテルを巡って楽しんだ。
MGMというホテルには生きたライオンが透明の檻に入っている。しかも、僕の頭上で寝ていた。雌ライオンが。迫力満点だ。
ロサンゼルスでは買ったおもちゃの光る剣を空港のソファに置き忘れてジェット機に乗ってしまった事を覚えている。アレは悲しかった。
昨今、VRでどこへでもいける世界になりつつある。土地が気になればストリートビューで見られる。
だけれど、こういう思い出というものは、バーチャル体験では得られない。
旅行は、土地を見に行くものだけれど。その時の映像を見返せば、その時の自分を思い出せる。
その土地で会った人、モノ、自分に反応するその世界。
そういったものが、旅行そのものを作っていく。
「旅行」の概念はなくならないと、僕は考える。
バーチャルの映像に、土地に、そこには、自分はいないのだから。
ではまたあした。