ぽろぽろこぼれる

888企劃主宰・馬原颯貴からぽろぽろこぼれる言葉を記録する。

運営。

昨日「15000円で32人呼べば役者に40万円入る」って話をしたんだけど。世論。 - ぽろぽろこぼれる

つまり15000×32=48万円稼いでこいって話なんですよね。48万稼いできたら運営が8万貰って40万あげるよってこと。

搾取してるように見えるこの8万が大事って話をしよう。

だって普通にお金くれって言ってももらえないじゃん。

じゃあどうすればいいか。

 

面白い脚本とか、

素敵な演出とか、

綺麗な照明とか、

感動的な音響とか、

安全な舞台設備とか、

管理された運営体制のもと、

あなたという素材を味付けしてあげるから8万頂戴、っていう。

 

つまり舞台というのは、役者に「魅力」を与える、コーディネートしている。

当然運営側としても、役者がいないと舞台が成り立たないというのは誰しもわかることだと思うし。

役者と運営っていうのはそういう協力体制のもと成り立っている。わけです。

 

 

昨日の話に戻るんだけど、「劇団扱い」の存在が抜けてた。

抜けてたというか、とりあえず飛ばしてた。

なぜなら「劇団」(≒運営)という存在を入れると、今度は劇団の月収も考えないといけなくなるから。

この話はもっと突き詰めると、降板事件とかノルマ問題とかの原因に突き当たる。

 

例えば、888企劃がクソ団体だと仮定して、昨日の三人ヨシコの話を考えてみよう。

 

役者は22人。11公演で80席づつ、計880席。

満席の場合、ひとりあたり40枚になる。

クソ団体ならチケットノルマ40枚と言うところだけど、この団体はクソ団体の中でもまともな方なので30枚にしてくれた。

チケット代が5000円だとしよう。某舞台はそのくらいだった。クソ団体は大抵5000円でやるものだ。

 

全員ノルマを支払うor達成するのでひとりあたり15万円の収入がある。これは約束されている。途中で降板しても契約に則ってきちんと15万円は確保できる。

これが22人。

330万である。

さて、諸経費はいくらだったかな。180万円か。

と言うことは引くこと150万円

 

舞台を一つやると150万円手に入る。

150万円のために役者を食い物にしている団体があるのだ。ああいうのはそういう団体なのだ。

(ちなみに実際に公演したチケット代3200円だとすると31万2000円。これだとクソ団体的にはうまみがない。)

 

さらにこのクソ団体はノルマ達成後のチケットバックは1000円とかだ。5000円全額じゃない。150万儲かってるのに、さらにチケット一枚あたり4000円とるのだ。

40枚売っても役者には1万円しか入らない。全員が40枚売ると、団体にはさらに88万円入る。238万の売り上げだ。

しかも満席になってチケットが売れなくなったのに、達成できてない人はノルマを払わなければならないことが多い。クソだ。この団体はクソだ。

そりゃあこの事実に気づいた役者もやる気をなくす。降板する。

この仕組みを僕は搾取システムと名付けたい。

 

当然、ノルマ制の団体が全部搾取システムだというわけではない。全否定する気はない。

運転資金もなく、公演が終わってからしかない収入のなか、なんとかやりくりするために先払い制にする団体もある。頑張って頑張って、なんとかそうしているところもある。

 

しかしこの搾取システムで運営する団体がいるというのも事実で、演劇がビジネスだとしか思ってない奴もいる。搾取システム、てめーはダメだ。

 

 

冒頭に申し上げた通り。

面白い脚本とか、

素敵な演出とか、

綺麗な照明とか、

感動的な音響とか、

安全な舞台設備とか、

管理された運営体制のもと、

あなたという素材を味付けしてあげるから8万頂戴、っていう。

 

ここ。ここ!

搾取システムにはここが抜けている。

全部滅んでしまえ。そうしたらまともな劇団がもう少し劇場を押さえやすくなるだろうから。

 

 

 

 

ちなみに。

「劇団扱いが大半を占めて役者がチケットを売らなくてもよくて20万/月貰えるって話はないのか?」とお思いの皆さん。

 

なくはない。

昨日のブログで書いた1080万円を、劇団扱いのチケットで捌けばいいのだ。

 

10000円/枚なら1080枚。

5000円/枚なら2160枚。

3000円/枚なら3600枚。

 

四桁単位のファンを持つ劇団の舞台にあなたが出演すれば、20万/月は夢ではない。あなたはチケットを売らなくて良い。

 

ただそうなったとき。

あなたは「小劇場の役者」だろうか?

 

あなたが芝居することに対して20万/月を支払ってくれる、四桁単位のファンを持つ団体の舞台に立つ。

それはもう、立派な、プロの役者だ。

 

だがこの仮定のときに、、見逃していることがある。

 

そうなったとき、あなたには魅力がある。

 

あなたを見るために15000円払ってもいい人間が32人いる世界に、あなたは生きている。

 

その世界で生きるためには、優良な団体で経験を積み、自分の魅力を団体と共に磨き、四桁単位のファンを持つ劇団に認められる必要があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして手に入れるのは、20万/月の生活だ。

 

 

 

 

 

ようやく人並みの生活だ。

 

 

 

さらにこの生活は、ずっと保証されるわけではない。

 

 

 

稽古と公演は二ヶ月で終わる……と仮定する。

 

となると、その認知を、出演を、集客を、二ヶ月毎にやらなくてはならない。

 

 

それが、舞台に立って生きるものの生活だ。

 

 

 

 

って、話をしてきましたけど。

別に僕は経済新聞に寄稿してるわけでも、悲劇喜劇でエッセイ書いてるわけでもないから、この文にはなんの説得力もないと思ってるけど。

この話は、今考えて書いているというわけではなくて。

昨日の話だって別にコペルニクス的転回ではないし、制作とも、役者とも話して、小劇場界隈どーしよーもないねーって駄弁った飲み話の一つなんだけど。

 

役者をやっていく上でこんなことを考えて、結果、僕は「良い主宰」になろうと決めました。

 

いま僕たちができることはなにかというと、いい歳して働いて金欠で困りながら、買いたいものも買えず、払うべきものも払えず生きていく演劇人たちが、諦めという奈落に落ちないように踏ん張って、それでも適切な価格でお値段以上の娯楽を、いい芝居をやる、それだけなんです。

 

 

だから、みなさん。

劇場に、来てください。

いい団体の、いい芝居を、いい役者を、見てください。

そして、ファンになってくれると嬉しいです。

 

 

 

ではまたあした。