ぽろぽろこぼれる

888企劃主宰・馬原颯貴からぽろぽろこぼれる言葉を記録する。

「M八七」と「ノンブレス・オブリージュ」。

2023年12月23日、24日に僕が監督したNova Animaのミュージックビデオ(以下、MV)が二作品公開された。

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本記事は、Nova Animaの団長であり、MVの監督である僕という両立場の意見が入り混じったものになることをご承知いただきたい。

そして当然のことながら、その動画の内容にも触れる記事となるわけなので、Nova Animaで公開しているすべての動画を各100万回以上再生して高評価もチャンネル登録も通知もオンにした上で読み進めてもらうのが賢明だろう。

しかしながら毎度のことではあるが、「それを見た一人一人の解釈が全て正しい」という僕の信条は相変わらずなので、僕がここで語ることによってあなたの解釈を変える必要はない。

 


Nova Animaでは毎年の活動としてMVの制作をしているわけだが、この二作品は特に渾身の仕上がりとなったのでぜひ聴いて、観ていただきたい。そりゃあ過去の作品が渾身でなかったかと言われればそんなこともなく、その時々にできる最善を尽くしているのだけれども。

当団体では毎年選曲選挙を行なっており、投票により何曲かの楽曲を合唱編曲することに決めたのだが、今年はこの二曲を先んじてMVにしようとなった。というか僕がそう決めたのである。

去年度に関しては「坂道のメロディ」「愛のシュプリーム!」をMVにした。

 

 

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2022年は選曲選挙で「つむじかぜ」「Violet Snow」も合唱編曲することになったのだが、後者二曲は副次的文化系合唱祭にて演奏披露の機会があったからだ。

 


なお、今年夏に公開した「可愛くてごめん」は懇意にしている田中達也先生の編曲が出版されたので、こりゃあもう歌うしかねえぜという心持ちで1日の練習だけで録音し、普段の練習風景や演奏の様子が見られるような動画となった。

 

 

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さて、今回公開した二本の動画に話を戻そう。

 


「M八七」について

こちらは映画『シン・ウルトラマン』の主題歌である。

「アニメ・ゲームソングを合唱編曲する」というNova Animaであるが、こちらは特撮映画。と言っていいのか? 「ゴジラ-1.0」は特撮なのか、という議論になるのか、巨大怪獣が出れば特撮という定義なのか……そもそも「特殊撮影技術」の略だし……いやいや、こんな話がしたいわけではなく。言わずもがな、以上は個人の感想です。以下も然り。

編曲は田中達也先生。いつもお世話になっております。なかなか難しい旋律である本曲を見事に爽やかな合唱曲へと仕上げていただきました。

 


さて、この曲のMVを作ろうと決めたのは、「なんとなくいい感じのMVになりそうだった」というのが正直な理由である。

前回の録音・撮影の際は、所謂普通の練習施設で行ったが、その分苦労も多かった。今回はJ:COM浦安音楽ホールで録音を行うことで、より良い音楽を収録することに成功した。見目だけでなく、合唱としてのクオリティも求めている。

しかしせっかくホールで録音するのであれば、4時間も借りて二曲歌ってはい終わり、なんてのは寂しくないだろうか。だったら映像もそこで撮りたいじゃないか。コスパ最高じゃん。というわけでホールでの映像も撮ることになる。

そうすると、自ずと物語が目に浮かぶ。初めは合唱、ピアノ、指揮などが映り、客席に一人の男。合唱団とこの男の関係性はどうなるだろう。そんなことを考えながら絵コンテを作成した。ちなみに絵コンテ第一校の完成は、合唱団がこの曲を練習し始める二週間も前である。楽譜がまだ音になる前に絵コンテができている。不思議な状況である。

 


絵コンテを描く時、今回は原曲のMVを見ないようにした。しかし思いのほか似通う部分があったりして(“いまに枯れる花”、出すよね〜)、映像が完成したのちに原曲MVを見て少し嬉しかった。

途中唐突に現れる林檎は、この曲を聴いているうちに必ず出さなければならないと確信した。”それは引き合う孤独の力なら”という歌詞を聞いて、合唱人ならばあの有名な詩人を思い浮かべるはずである。そしてその”孤独の力”といえば、この林檎を出さないわけには行かないだろう。

 


出演をお願いした長谷川裕は、去年ワセグリの定期演奏会で行ったアニメソングミュージカル『合唱(うた)をとりもどせ!!』においてアクションをつけてくれた古くからの親友だ。ラスサビのあたりでネリリし、キルルし、ハララしてくれた他お三方は、彼の選定によるものである。絵コンテ上たった一コマの「このへんでなんかアレやって」みたいな曖昧な指示を、見事に成し遂げてくださった。

ホールでの撮影を最大限利用した今回のMVは、合唱団や役者陣はもちろん、録音技師の三好直樹さんやJ:COM浦安音楽ホールのスタッフの皆さんのご協力がなければ成し得なかった。みなさん、ありがとうございました。

 

 

 

「ノンブレス・オブリージュ」について

こちらはボーカロイド初音ミクが歌唱したピノキオピーの楽曲である。

「アニメ・ゲームソングを合唱編曲する」というNova Animaであるが、こちらはボーカロイドの曲。広義でいえば『プロジェクトセカイ』というゲームで聴くことのできる曲ではあるが、太鼓の達人で聴けるからと言って『天国と地獄』をゲーム音楽だという人はいないだろう。というわけで今回の二曲により、Nova Animaの演奏曲自体の定義が「アニメ・ゲーム・特撮・ボカロ曲を合唱編曲する」となってしまったが、そんなことはどうでもいい。よく考えれば米津玄師も元はボカロPだったし……。

編曲は森山至貴先生。いつもお世話になっております。この曲を合唱編曲できるのはあなたしかいません。合唱団ばかりでなく印刷機すら悲鳴をあげる真っ黒な譜面をどうもありがとうございます。我々の業界ではご褒美です。

 


さて、この曲のMVを作ろうと決めたのは、「絶対にやばいMVになりそうだった」というのが本当に正直な理由である。

原曲、そして合唱になったこの曲を聴いてもらえばわかるが、ボーカロイドならではの、タイトル通りノンブレスなサビ、細かすぎて歌えない符割選手権開催中と言いたくなる早口、魂と脳が揺さぶられる強い歌詞、全てが合唱にふさわしくなく、それが故にふさわしい。

 


先ほど選曲選挙の話をしたが、この曲を提案したのはそもそも僕である。ピノキオピーは僕のApple Musicで聞いた回数アーティスト部門TOP5に入る。いつかこの曲を歌いたいと一億と2000年前から思っていた。

というわけでこの曲に関しては、原曲MVを見ずに絵コンテを描くだなんてことは不可能だったわけである。すでにもう何度も何度も見てしまっているのだ。しかし、できるだけこの原曲MVから離れようとする作為があると、それはそれで作品にとって邪魔になってしまう。合唱になった「ノンブレス・オブリージュ」から得られるインスピレーションが、原曲MVに似てしまっても、それはもうどうしようもないんだと諦めた。「原曲MVと似てるからこのシーンは外そう」「ここは寄せよう」「ちょっと違うことしてみよう」という作為が入らないよう、フラットな立場で絵コンテ作成に臨んだのである。

 


出演をお願いした夏井魚々子は以前共演した付き合いの長い役者である。現在舞台役者の活動は休止しているが、なんとか騙くらかして出演してもらえることになった。彼女のような凛とした、しかし弱い部分も見せられる、裏表を言葉以外で表現できる役者が、今作には必要だった。動画制作に関しても知識が豊富で、演じる側だけでなく作る側の視点でもいい意見をいただいた。

このMVでは、合唱団が歌っているシーンを入れるべきかどうかを非常に悩んだ。生身の人間が歌っている様子というのは、この曲においては邪魔になってしまうのではないかという危惧もあり、撮影の日までは入れないつもりでいた。しかし団員がしっかりと演出の意図を理解してくれて、「M八七」の時とは別の表情、雰囲気を作ってくれたおかげで、合唱のシーンを入れた方が効果的であると判断することになった。

 


「M八七」では、「外側と、その外側」が僕の中でのテーマだったが、「ノンブレス・オブリージュ」では「外側と内側」がテーマである。"息が詰まる"外側があり、内側には安全地帯がある。映画を見るように外側を眺めていられる。そんな内側の存在を描いてみた。皆さんの目には、どう映っただろうか。

 

 

 

 


そういうわけで、思った以上に思ったことができたのが今作二つのMVである。

これは組織の運営的な、生々しい話になってしまうが、「合唱のMV作りたいです!」と言ってはいどうぞ予算あげますというようなゆるい合唱団ではない。録音にかかる諸費用、撮影・役者への謝礼、小道具、エトセトラエトセトラ。色々な物事にお金というものがかかってくるが、前回に関しては、初めてのことで、どれくらいのものが出来上がるのかもわからない、そんな団長の戯言に割ける予算が無尽蔵にあるわけでもない。

どいういうことかというと、ぶっちゃけ去年度の「坂道のメロディ」「愛のシュプリーム!」に関しては、かなりの低予算で製作したのである。欲を言えばホールで録音したかったし、いい撮影機材で、いい環境で動画撮影もしたかった。お金をかければかけるだけ、ある程度は比例する形で作品の質も上がるはずだ。しかしそういうわけにもいかないので、録音が練習室だったり、撮影がその辺の河原だったり、野外の舞台でノーセットだったりしたわけだ。

(それでも、払うべきところにはしっかりお金を払っているということは明記しておこう。断言するが、大石亜美はそういった事情で呼んでいるわけでは決してなく、僕のイメージに限りなく近かったのでキャスティングした。)

 


そんな予算は団員からの、オンステ費という名の参加料で賄っているわけである。前回である程度MVというものの全貌が見えてきて、「前回はあれくらいの金額であれくらいのものができました、今回はもう少し多めにいただければ、もっといいものができますよ」というプレゼンを経て、大幅に予算が増え、ホールやスタジオ、ミニシアターでの撮影などをするに至ったのだ。

それでも正直団員からのオンステ費は上限いっぱいいただいていて、これ以上の予算増は難しい……なんて話をして、一体何が言いたいのかというと、もうこれは長ったらしく回りくどくて申し訳ないが、単なる言い訳である。

 


世に出ているアーティストは、僕たちと比べ物にならないほどの予算の中で、MVやPVを作っている。

それはその動画を作ることで、CDが売れ、ストリーミング再生され、広告収入が入り、利益になるから、還元されるからである。

僕らの動画は非営利だし、お金を稼ぐことが目的ではなく、純粋な好きの気持ちで作っている。いや、どちらが偉いとかそういう話ではない。

団員はアニソン(他略)が好きで、合唱が好きで、好きなことをやっていて。その一人である僕が、合唱ってこんなにかっこいいんだ、ということをみなさんに知って欲しくて、MVを作って。

拙い部分もあるかもしれない、詰めが甘いなあとか、もっとこうすればいいじゃんとか、細かいところが気になったり、もしかすると大きいところも気になったりするかもしれないけれど。

まあでも、僕なりに全力を出して作った作品だし、当然団員たちも、できる限りの努力をして、可能な限り好きを歌に込めた、そんな動画になったのだ。

原曲が好きなかたも、合唱が好きな方も、どちらも別にどうでもいい人も。

僕たちの動画を見て、ちょっとでも好きが伝わって、伝染ってくれると、嬉しい。

アニソン合唱、かっこいいぞ。

偏見を纏う。

「私がどんな服を着てもいいだろう、それを偏見の目で見るな」

というのは、やや無理があるんじゃない? って話。

 

想像してみて欲しい。

 

ゴスロリを着た人が「私を可愛いだなんて思わないで欲しい」という。

派手な柄物シャツを着た人が「俺をヤクザみたいだなんて思うな」という。

露出の多い服を着た人が「私を性的な目で見ないで欲しい」という。

 

そんなことはおかしいだろう。

 

可愛く見せたいからゴスロリを着ているんだと思うし、ガラを悪く見せたいから派手なシャツを選んでるんだと思うし、自分のプロポーションを見せたいから露出度の高い服を纏ってるんだと思う。思う。僕はそう思う。偏見する。

 

どんな服を着てもいいよ、でもその服と一緒に、その服は、あなたに「偏見」を着せていることに気づいて欲しい。

 

これは誰も言わないことだが、服は偏見である。

 

スーツを着れば「真面目そう」それを着崩せば「だらしない」、ワンピースは「女性らしい」パンツスタイルなら「中性的」。とか。例えば。

 

人は偏見を着ているのだ。そう思われたい偏見を。

 

僕は気弱な人間である。そのくせ目立ちたがり屋だ。だからよく和装をする。他の人があまり着ない服を着て目立とうとする。個性的だと思わせたいから、個性的な服を着ている。当たり前ですけど、みたいな顔をして足袋を履く。それが個性的だと思うから。意図的に、他人に偏見を持たせる。派手な柄のシャツを着て、サングラスを着け、近寄りがたい雰囲気を作る。自ら纏う。気弱な自分を隠している。それをわかってやっている。ガラの悪さを演出している。だから職質にあったとしてもなにも文句はない。そういう服を着ているんだから。きちんと応じる。人を見た目で判断することになんの疑問も持たない。僕は見た目で判断して欲しいから。僕も見た目で判断するし、きっとあなたも、見た目で判断している。

男声合唱のためのアニメソングミュージカル「合唱(うた)をとりもどせ!!」を終えて。


早稲田大学グリークラブ第70回定期演奏会が12月3日に開催された。


第二ステージ、男声合唱のためのアニメソングミュージカル「合唱(うた)をとりもどせ!!」の作・演出を担当した僕の、これはある意味あとがきと、本番を終えた感想である。

本番直後の高揚感でTwitterで口を滑らせた内容と重複している部分もあるかと思うが、温かい目でご覧いただきたい。

 


まず僕の信条として、「舞台はそれを見たお客さん一人一人の解釈が全て正しい」と思っている。ここで語ることによって、あなたの解釈を変える必要はない。

 


ワセグリが指揮を三好草平に、編曲を森山至貴に、と決めた時点で三好さんは「森山編曲で演出ステージをするなら、共作経験のある馬原がいい」と言ってくださったらしい。共作とは、2019年「888企劃舞台作品 第六回公演 混声合唱と群読のための……。」のことである。

 


初めて学生たちと顔を合わせたのは1月だった。

彼らは「アニソン合唱で、笑えるステージを作りたい」「青春と“エモさ”をテーマにしたい」という話だった。

 


学生たちから渡されたのは膨大なアニソンのリスト。学生たちが好きなアニソンをとにかく詰め込んだ闇鍋のようなリストだ。「この中から選んでもいいし、この中にない曲を出してもいい」と聞いて、「つまりワセグリで聞いてみたいアニソンを盛り込めばいいんだね?」と興奮した。

 


ワセグリの演出ステージの評判は、東京の大学合唱界隈にいなかった僕でも知っていた。何年か前のワセグリ定演を見に行ったこともあった。名だたる名作に恥じないステージを作らなければというプレッシャーもあった。

 


コロナ禍でいろんな演奏会が中止になり、なお逆風が止まない今だからこそ、作れるステージがあるはず。そう思って脚本と選曲に取り掛かった。

 


この時点から、一つの問題があった。「演奏時間」だ。

自分が普段書く脚本は1時間半から2時間程度。今回は歌の尺も含めて、長くても30分、できればそれ以下に収めたい。

30分アニメ(と言いつつ実際は24分だが)の尺に収める、と考えると、一話分しかできない。続き物にもできない。なのに一つの物語の起承転結を一話に収めなければならない。どうするか。

演劇パートで全てを語って、合いの手のように歌が入る構造だと、演劇側への負担も大きい。

世界観の説明や進行を、歌で加速させるしかない。

 


曲目のリストを見ていると自然と歌詞が脳裏によぎり、まるでタイトルが光るかのように物語の構成が見えてきた。

 


2月ごろから定期的に選曲リストを提示し、許諾申請を依頼。3月ごろにはほとんど決まっていたかのように思う。その時点で脚本はver.3にまで変化していった。曲の歌詞が物語を作っているので、その曲が使えないとなると物語を変えなければならないからだ。

 


この時点でそろそろみなさんお気付きだと思う。「喜劇」が発表されたのは4月のことだ。そう。そこでまた物語を変えた。

 


というのも、ver.3あたりの話では、デビルズというキャラクターはワセダ・レジスタンスの外の人間だった。外からやってきた悪を倒す話だ。

しかしこれでは物語が締まらない。なぜなら現実への啓発にならないからだ。この問題への解決策を探している途中だった。

・合唱団があり、例えば外の部活、アカペラ部とかがやってきて合唱団と対決する……? いや、アカペラ別に悪くないし……。

・合唱団があり、規制する権力を倒す話……? いやいや、そんな「打倒政府」みたいな反社会的な終わりにはできない……。

・そもそもコロナ禍の解決策なんてわからないわけで。ワクチンでコロナを倒す話? いや「はたらく細胞」かよ……。

などなど、大筋は決まっていても落とし所に困っていた。

 


そんな中、打ち合わせをしていた藤原くんとの会話の中で、「コロナ禍で辞めていった部員」の話を聞いた。

ワセグリの内情を何一つ知らない僕は、勝手に彼らを一つの家族だと思っていた。かつて見た演奏会で、卒業代を送り出すストーム。独自の伝統。熱い結束。

 


そして「喜劇」。全てが繋がった。

デビルズはもともと仲間だった。心に闇が現れることは、人間なら誰しも知っている。うまくいかない現実の中、自分が全てを統制すればうまくいくのにと。人と意見を合わせるから摩擦が起きる。全員が自分の言うことを聞けば、物事は良くなるはず。そういう思考パターンを、僕たちは知っている。

そして、その考えが間違っているということもまた知っている。ひとりじゃ出せない音があることを。

 


終わり方についても、もう少ししっとりした曲で終わる予定だった。だが不思議なことに、これがまだ第二ステージでありこの後に上田真樹さんの委嘱曲があるということを都合よく忘れたグリメンたちは「もっと盛大なラストを」「ビートが足りない」「これじゃあ燃え尽きられない」「血を吐いて終わりたい」「消化不良になる」「男なら歌え」と言ったり言わなかったりしてきたので、最後の二曲を合わせて変更した形になった。

 


その時点で以下のセットリストが完成した。

 


愛をとりもどせ!!(北斗の拳)

デビルマンのうた(デビルマン)

Cry Baby(東京卍リベンジャーズ)

大河よ共に泣いてくれ(ゾンビランドサガ)

時には昔の話を-早稲田大学校歌REMIX(紅の豚)

熱き決闘者たち(遊☆戯☆王 デュエルモンスターズ)

七色シンフォニー(四月は君の嘘)

喜劇(SPY×FAMILY)

真赤な誓い(武装錬金)

 


最初は世界観を表現し、導入しやすく。高い年代の人にもわかる曲で始める。

デビルマンで悪の訪れを表現。デビルマンは正義のヒーローだけど。

仲間が奪われていくので悔しい。いねえよなぁ!

反撃の力を手に入れ、戦いに向かう。今だ、反撃の時!

と、ここで幕間。時には昔の話をで回想シーン。デビルズの過去。失われた斎太郎節。

主人公たちとの対決。戦闘用BGM。

倒しきれないが、最後の力を振り絞って歌う。七曲目、漆の型、七色シンフォニー。

 


そして喜劇。

壊れかかったお茶目な地球。コロナ禍で病に陥った星。

みんなの涙はとうに枯れ果てている。僕たちはワセグリで出会う。過去にあった辛い秘密は隠している。あの日交わした。入部届。心たちの契約。血の繋がらない家族。グリメンたち。

「こんなことがあった」って。話したかった。君となら喜劇。

ふざけた生活。コロナ禍での、マスクのある生活。つづく、つづく。

ラストを飾る、「真赤な誓い」。あまりにも大きな力の壁。絶対負けるもんか。屈服するもんか。今はわからないことばかりだけど。わからない中で進むしかないけど。合唱をするだけ。ただ歌うだけ。好きなことを。好きなだけ。

 


この物語を「アニメソングミュージカル」と表記し出したのはこの頃かもしれない。歌だけでも、芝居だけでもない今作は、こう表記する他なかった。

 


このセットリストを見てしまえば、物語が判明してしまう。「荒廃した世界で」「悪魔が現れ」「仲間が奪われ」「反撃し」「回想し」「戦い」「共感し」「会話して」「明日へ向かう」ことが、わかってしまう。

なのでパンフレットには曲目を書かないでいただいた。このステージに関しては、パンフレットではなく舞台だけを見ていただきたかった。

 


曲目に関して、知らない曲も多かったのではないだろうか。そもそも知ってる曲だけで構成された演奏会に意味があるのだろうか? みなさんは今回の第三ステージの曲を知らなかったはず。委嘱初演なのだから知るはずもない。新しい曲と出会い、世界を広げていくことが大事であることは、合唱ファンのみなさんはよくわかっているはず。一部のコアなアニソンファンは、「その曲持ってくるのか〜!」とイントロで滾ってくれるだろうという予想もあった。

 


今回は「存分に笑えるステージにしてください」という要望もあり、これでダダ滑りしたら上野で人身事故が起きるぞと思いながら執筆したが、実際のところ無事帰宅することができた。

 


ジョジョネタはふんだんに取り入れた。これは僕がただ好きなだけである。わがままである。選曲段階ではジョジョの曲は入らなかった。ジョジョの曲はジョジョの曲であり、それをするともう波紋で戦ったりスタンドで戦う話にするしかなくなってしまうからだ。「悪魔」はある意味スタンドのようだったけど。

 


他にもアニメのセリフパロディは多々織り込んだが、大事なのはストーリー上必要な意味のセリフだったからである。無意味に流行語を連発しても面白くはない。ただのセリフモノマネ大会でもなく、彼らのキャラクターの中でそのセリフを言う「必然性」が欲しかった。このあたりは、ともすると笑えなくなってしまうので気をつけたい。

 


先述した通り、僕は22歳で名古屋から上京したので大学合唱界隈のことは全くわからなかったのだが、ここ5年ほど東京の合唱文化に触れることで、なんとなくだが関係性が見えてきたように思える。

ワグネル・ソサィエティーの皆さんに失礼なことを言わせた気がする。大笑いしていただけたようで光栄だ。

 


時には昔の話を」では早稲田大学校歌REMIXとなった。これは三好さんの発案というか「校歌をどこかに混ぜたいよね」と言っていたのを思い出し、アカペラ曲に織り込めば今後ワセグリが愛唱歌としても歌ってもらえると考えたので、この曲になった。森山先生の見事なマッシュアップにより、絶妙に校歌と「時には」の旋律が折り重なり、初めて楽譜を見た時は興奮していきなり一人多重録音するくらいだった。ぜひ、次の代にも受け継いでいただきたい曲である。

 


またこの曲では「演奏中にマスクをつけ始める」という演出をつけた。あの世界の過去の話なのか、ナレーションの「私たちの世界の話」とは、どっちの世界の話なのか。可能な限り曖昧にしておいた。不明瞭な境界線が、観客を魅了してくれると信じている。

 


「斎太郎節の擬人化」というのが理解されるのか非常に悩んだし、知らない人には本当に知らないネタになってしまうだろうと思った。しかしこの演奏会に来るお客さんなら、どうせストームの最後で斎太郎節を聞くことになるだろうし、その時点で解るはず。ワセグリの伝統を信じたネタである。

当然のことながらこのシーンは「風の谷のナウシカ」のパロディであるが、背後に隠したはずの斎太郎節が「エンヤーオット……エンヤーオット……」と王蟲のように四つん這いで前に進み出すシーンはこの舞台一番の好きなシーンである。このために他のストーリーがあると言っても過言ではない。ほんとうに。

 


「熱き決闘者たち」ではアクションをつけた。この件に関しては長谷川裕の成果と、慣れないアクションを一生懸命に身につけてくれた学生たちの努力の賜物である。

小雨の降る深夜の公園で、二人で殺陣を考えた。結果として迫力のある見事なアクションになり大満足の戦闘シーンとなった。

 


その後、デビルズとの戦いで瀕死の状況に追いやられた彼ら。救うには会場のみんなの応援が必要だ! というシーン。ヒーローショーでお馴染みの演出だが、2000人の会場が作り出す拍手の力は圧巻だった。もう少し戸惑いながら徐々にまとまっていくのかと思っていたが、煽った瞬間から拍手が巻き起こり、次第にワセダコールの中で完全にタイミングの合った爆弾のような拍手になっていく。お客さんが物語に没頭してくれていることがわかったし、応援の気持ちが伝わってきて骨にまで染みた。このシーンを作れてよかった。

 


今回は稽古期間が短かったこともあり、歌中でダンスなどは取り入れられなかった。その代わり、合唱のみんなには自由に動いてもらった。「喜劇」などは顕著だ。

合唱ではほとんどが、直立こそが褒められ、決められたフリでしか動かない。しかし僕たちが歌を歌う時、身体は自然と動き、感情を現わにするのではないか。

歌を歌うことは楽しいのだから、楽しそうに見えるはずだし、悲しい歌ではその気持ちを表現する。歌声だけでなく全身で。合唱は舞台芸術なのだから。

こういった僕の考えは指揮の三好先生とも共通しており、学生たちへの指導の中で互いに何度も伝えてきた。

 

 

 

この舞台に僕が潜ませた数々の仕掛けは、そういった全てのことが繋ぎ合わさることで表出する。心に残る舞台となってくれれば嬉しい。

 

 

左から

僕の思いつきを全て楽譜に書き記してくださった森山さん

全ての音楽をまとめ上げてくださった三好さん

最高のピアノを奏でてくださった角野さん

学生たちにただグチグチ小言を言っていただけの僕

アクション未経験者を安全に戦闘させてくれた長谷川さん

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銀。

 

 

ずっと応援しているロコソラーレが、北京オリンピックカーリング女子で銀メダルを獲得した。

 

 

 

報道ではもてはやされているが、僕の感じたことと違うなぁと思うことがある。

 

 

「最後まで自分たちらしいプレーで」はなかったはずだ。「緊張の表情も見せずに」試合していたとも思えない。

 

金メダルというプレッシャーに緊張し、ロコソラーレらしくないプレーをしてしまったのだと思う。

 

なにより笑顔が少なかった。言葉の端々に緊張や恐れが見えた。

 

予選から11試合、全て見ていたからわかる。

 

カーリングはメンタルスポーツ。

 

 

例えば、射撃。これもメンタルスポーツ。

 

平常心で、ミスをしても動揺せず、冷静であり続けるスポーツだ。

 

この射撃を、ハイテンションであることでベストパフォーマンスを出せる人がいたとする。

 

ロコソラーレはそんなチームなのだ。

 

他チームはローテンション(は少し言い過ぎだが)であることでコンディションを保ち、

 

ロコソラーレはハイテンションであることでコンディションを保つ。

 

 

それが、「楽しそうでいいチーム」とメディアに捉えられているので、報道で「決勝でもロコソラーレらしさを……」としか言えない。

 

 

なにより本人たちが否定している。

 

決勝では私たちらしいプレーができなかったと。

 

当然手を抜いていたわけでは全くないだろう。

 

僕は彼女たちの言葉を信じる。

 

全力とは、出したい時に出せるものではないのだ。

 

全力を出そうとしても、出せなかった。

 

そんな決勝戦があっても、何も悪くない。

 

出せなかったけど、出そうとしていたのがわかるから。

 

今後もロコソラーレを、カーリングというスポーツを、応援していきたいと思った。

 

 

 

ではまたあした。

ちゃんとする。

 

 

ちゃんとする、って、馬鹿らしい。

 

文字にするとグレた中学生みたいだけど。

 

 

でもちゃんとするしかない。

 

ちゃんと自炊した方がいいし、ちゃんと税金は納めなければならないし。

 

靴を履いて服を着て仕事に行かねばならないし、やらなければいけないことはやらなければいけない。

 

ちゃんとさせられている。

 

 

自分を律している。

 

月一でやると決めた趣味もやる。

 

やらないと決めたことはやらない。

 

 

一つくらいはやめてもいいかと思って、ブログの毎日更新を諦めた。

 

五日おきくらいで、書きたいことを書こうと思う。

 

 

 

2月も中旬、奴が来る。

 

確定申告は、ちゃんとやらなきゃいけないなあ。

 

 

 

あー、面倒だ……。

 

 

五日後かもしれないけど、

 

ではまたあした。

感情の二位タイ。

二位タイの時ってあると思う。

 

 

おおむね“怒り”の時だけど。

 

 

例えば部下のミスに怒る。

 

「ミスってんじゃねーよ」と。

 

そのあと、6秒遅れで到着する。

 

教えてやれなかったからなー、という後悔。

 

こんなミスをさせてごめんなー、という謝罪。

 

この二つは二位タイ。

 

 

人間の怒りのピークは6秒で終わるらしい。

 

最初に後悔や謝罪が来ることはあまりない。

 

怒り一位。

 

ゲームでミスっても同じ。

 

 

でも、大事なのは二位タイの感情だと思う。

 

 

そんな気がする。

 

 

ではまたあした。

電車。

 

 

 

最近すっごいやる気とかが消え失せていて、

 

ネガティブな考えしか浮かばなくなっていて、

 

久しぶりに病んだなーとか、そんな話を。

 

 

ブログに綴ろうと思ったんだけど。

 

 

 

 

ドアが閉まる直前に、

 

おっさんが電車とホームの間を、

 

反復横跳びしていて。

 

 

 

なーんか興が削がれたというか。

 

 

バカらしくなったというか。

 

 

 

 

 

 

自分にはなんの魅力も、才能も、技術もないと思っていて、

 

あるように見せることにかけては、そこそこ上手くて。

 

なんでも一番を取りたがって、結局取れずに落ち込んで。

 

 

 

劇団やったり合唱団やったりお店をやったり、それらをまとめるポジションについているけれど、

 

自分を側から見ればなんだか下手の横好きなだけに見えて。

 

 

達成できるのはポケモン図鑑くらいで、それも全コンプまではめんどくさくてやらなくて。

 

 

なんだかなあー。

 

 

何がしたいんだろう。

 

 

わからんね。

 

 

 

 

 

ではまたあした。